前回の記事で触れた“「積み上げるチカラ」と「飛び越えるチカラ」”という考え方はそもそも、私が20代後半から30代初めの頃、母校の大学で空手のコーチをしていた中で持つようになった考え方です。
空手の練習体系の中には「基本」や「形」という、一見単調で、特に若い人には退屈なものとして捉えられがちな内容があります。
そうした「繰り返し練習」も苦にせず、日頃から真面目に練習に取り組むものの、いざ試合の場に立つと緊張し、いつもの実力を発揮できないタイプの学生がいる一方、
普段の練習への取り組みはあまり感心できる様子ではないのに、試合の場に立つと水を得た魚のように生き生きと動き、思わぬ活躍を見せる学生がいますが、
それぞれのタイプの学生を「農耕型」「狩猟型」と分けて、指導の仕方を別々に考えるようになったのが始まりでした。
この「農耕型」「狩猟型」という言葉は、当時話題になっていた、村上龍さんの「愛と幻想のファシズム」という小説の内容を参考に取り入れた覚えがあります。
農耕型の良いところは、コツコツと努力を“積み上げるチカラ”があるところ。
一方、狩猟型の良いところは、未知の課題と対峙した時にそれを“飛び越えるチカラ”があるところです。
“積み上げるチカラ”が高くても、“飛び越えるチカラ”が低ければ、ここぞという時に自分の実力を発揮し、結果を残すことができませんし、いくら“飛び越えるチカラ”が強くても、積み上げられた実力のベースが自分より圧倒的に高い相手に対しては全く通用せず、その相手に太刀打ちできるようにしようと思えば、一から“積み上げるチカラ”を身に着けていかなければならない
・・・つまり、本当に強くなるためには、“積み上げるチカラ” と“飛び越えるチカラ”の両方を身に着けなければならないということになります。
ということで、「農耕型」の学生には少しずつでも“飛び越えるチカラ”が身につくように、「狩猟型」の学生には同じく“積み上げるチカラ”が身につくように、意識をした指導をしました。
具体的には、「農耕型」の学生には、少しでも「競争をして勝つ」体験をして自信をつけることができるようにしました。
試合の形式ではとても勝てないと思われる相手でも、そのプロセスの能力、例えば基礎体力の一分野ででも勝てそうなことがあればそれを通して競争をさせ、「勝つ」経験をさせる・・・というのも一つの方法です。
このタイプの人間は「やればできるんだ」ということを心から実感することができれば、さらに努力を重ねますので、努力と成功体験の釣り返しの中で少しずつ「自信」を大きく育てていくことができます。
一方、「狩猟型」の学生にはまず、「上には上がいる」ことを知らせること。そして、そのような「上」の相手に通用する強さを身に着けるには結局、日々の地道な努力が必要であることに気づかせることが大切であると考え、レベルの高い道場に出稽古に行かせたり、当時実業団の大会で上位入賞をすることもあった私が、直接相手を行うなどしていました。
こうした取り組みを行ったにせよ、大学時代という限られた期間だけで学生たちの「本質」をガラッと変える・・・というのは難しかったかもしれません。
でも、このような取り組みを行ったことが彼らのその後の人生に生きた部分も決して少なくはないだろうと私は信じており、実際に当時指導をした後輩から後年
「あの頃先輩に言われたことが後になって良く分かりましたよ・・・」
といった嬉しい話をしてもらうこともありました。
このように、大学生への空手指導を通して発見した“「積み上げるチカラ」と「飛び越えるチカラ」”という考え方はもちろん、悠真塾での空手指導においても生かしていきたいと考えていますが、これは何も空手という分野、もしくは運動の分野においてのみ当てはまる考え方ではなく、勉強の分野においても当てはめて考えることができます。
ということでこのテーマについて、今後少し継続的にお話をさせていただきたいと思います。