少し間が空いてしまいましたが、今日は5月14日に投稿した“積み上げるチカラ”と“飛び越えるチカラ”(1)の続きのお話をしたいと思います。
5月14日の記事では、私が大学生に空手を指導していた時の経験を基に、運動における“積み上げるチカラ”と“飛び越えるチカラ”のお話をしましたが、同様のことは勉強においても当てはまります。
そして勉強においても、私の結論は運動についてと同じで
「本当の実力を身に付けるためには“積み上げるチカラ”と“飛び越えるチカラ”、両方を養う必要がある」
となります。
その結論を先に押さえた上で、以下、勉強分野における“積み上げるチカラ”と“飛び越えるチカラ”のお話を始めます。
小学校の高学年や中学になってから急に、勉強についていくのが難しくなった。
真面目にコツコツ勉強に取り組む子で、中学までは数学の成績も良かったのに、高校になった途端にできなくなった
・・・といった話しを良く聞きますが、その原因は「抽象概念を理解する力」が身についていないことによることが多いようです。
つまり、具体的な事柄に多く触れる中でその共通性を見出して抽象化する、という方向で考える習慣を身につけず、具体的な事柄をそれぞれ別個のものとして覚える・・・という考え方のみを繰り返し、定着させた場合、小学校や、良くて中学校くらいまでの勉強は何とかなることがあっても、高校以降の勉強では通用しなくなってしまう、ということです。
学校のカリキュラムでも、小学校低学年までは「読み書き計算」中心の学習内容だったものが、小学校高学年以降は算数の文章題にせよ国語の読解にせよ、だんだんと抽象度の高い概念を取り上げるようになってきます。
その学習内容の変化に対応できず、ついていけなくなる・・・というケースが多いようです。
人は何か新しいことを学ぶとき、既に学んで自分のものになっている手持ちのものを使ってその新しいことを理解しようとします。
その際、スムーズに学習できる子は、まず前提として、自分が既に学んだことを抽象的なレベルにまで落とし込んで理解することができていて、新しく学ぶことと、既に学んだこととの間の抽象的レベルでの共通点を見出して理解することができます。
このようなタイプが「抽象概念を理解する力」が身についている子ども。
私の言う、学習面においての“飛び越えるチカラ”のある子どもです。
一方、この力のない子は、学んだことを全て別々の具体概念として理解し、覚えようとしてしまいます。
例えば低学年の子どもに、算数の計算ドリルを与えて毎日取り組んだとします。
そのことによって、まずは毎日机に向かう習慣や、多くの子どもが面倒くさがるであろう計算問題を、最後までやり遂げる辛抱強さ・・・等々、非常に大切な能力を身につけることができるでしょう。
これは私の言う、学習面においての“積み上げるチカラ”に繋がります。
でも、このドリルへの取り組み方によっては、「抽象概念を理解する力」が育たないばかりか、それを逆に阻害する方向にも働きかねない・・・という現実があります。
その典型的なパターンは、子どもが同様の問題を繰り返し解く中で、答えを覚えてしまう、ということ。そして、
「マルをもらうには、そして早く勉強を終わらせるには、つまりは覚えてしまえばよいのだ・・・」
といった間違った認識をもってしまうことです。
勉強の中には言うまでもなく、覚えなければならないこともたくさんあり、そのような課題には真っ直ぐ粘り強く、「覚える」よう取り組まなければなりません。
でも一方で、覚える方向に思考を働かせると「抽象概念を理解する力」を阻害するため、マイナスに働いてしまう課題もあります。
もともとセンスのある子どもはこの「覚えるべきこと」と「覚えるべきでないこと」を無意識に分けることができるのかもしれませんが、
大多数の子どもにとっては、指導者からの正しい働きかけが必要なポイントであると思います。
「ゆるスタディ」後半の勉強時間は「自習」を基本としていますが、実際には指導者が子どもたちの学習内容を常に確認し、必要に応じで指導を行っています。
学習時の子どもの認識状況を的確に把握し、順調に独力で進むことができている時はどんどん進める。一方、指導が必要な時は立ち止まり、深く踏み込んだ指導を行う・・・・といった臨機応変な進め方ができるのは、私たちのような少人数型の教室ならではの強みなのかも知れません。